Ormandy/Wiener Philharmoniker & R. Serkin at Theater an der Wien, June 9th,1963 ― 2010年03月26日 01時25分

Beethoven : Symphony no.8
Eugene Ormandy/Vienna Philharmonic Orchestra
Rudolf Serkin(piano)
Video Recorded : Theater an der Wien, June 9th,1963、(C)ORF 1963
観て気になったのは、映像が音声よりほんの僅か遅れている感じがすることだ・・・他のDVD(オーマンディ以外の)でもそういうことがあったから、こういうのは困るなあ。ごく僅かな遅れなのだけど、一旦気になり出すとどうも・・・
・・・DVDは複雑なデコードをしているからプレーヤー(ちなみにワシは マランツ DV7001 を使ってます)によってはそういうことがあるのかもしれない。DVDプレーヤーに映像と音声のタイミングを手動で微調整できる機能を付けて欲しいものだ。プレスされたディスクの修正プレスは難しいだろうが、プレーヤー側で補正すれば良いのだから。
今の技術なら難しいことはあるまい。CDプレーヤーにピッチ調整を付けて欲しいのと同様、DVDプレーヤーにも「ピッチ調整」と「映像と音声のタイミングの微調整機能」を付けて欲しいものだ・・・
閑話休題
パッケージには山崎浩太郎氏による簡素な解説が封入されているが、なかなか興味深い内容だ。解説には、ウィーン・フィルのオットー=シュトラッサーの回想(「栄光のウィーン・フィル』オットー=シュトラッサー/ユリア=セヴェラン訳 音楽之友社刊、amazon.co.jp )が引用されており、それによれば、オーマンディは「・・・多くの場合指揮棒なしで指揮をした。・・・」とある。この本を読んでいないので詳細は知らないが、今度図書館で借りて読んでみるか・・・(そういえば、以前図書館でウィーン・フィルに関する本を2冊借りたが、それとはまた別の本だな、これは・・・)
ちなみにこの映像では、マエストロはバトンを使って指揮をしている。
マエストロのバトンについては、Herbert Kupferberg(2001年2月に83歳で亡くなられていたのですね・・・合掌・・・)著 "Those Fabulous Philadelphians" (Charles Scribner's Sons, New York 1969年, amazon,co,jp , amazon.com ) に、著者とマエストロとの対話(1968年10月フィラデルフィアにて)が載っているので、少し長いが引用すると・・・
I always used a baton when I conducted, until 1939, when I tore a ligament in my right shoulder and had to have an operation. The doctor recommended I stop using the baton then; the strain is much less without one. In 1950 when I was rehearsing "Fledermaus" at the Metropolitan Opera the singers on the stage told me they couldn't see my beat, so I borrowed a baton and the problem was solved. From then on I used the baton for operas, but not in concerts. In 1960, after talking it over with my doctor, I started to use the baton for concerts again and have been doing so ever since. It makes little difference to me, although I find that the member of the orchestras prefer to have me use the baton.
- Ⅳ The Ormandy Era - A talk with Ormandy より
簡単に言えば・・・「1939年まで指揮棒を使っていたが、右肩の靱帯を痛めて手術した際に医者から指揮棒を使わないよう言われて止めた。1950年にメトロポリタン歌劇場で「蝙蝠」を指揮した際、歌手から指揮が見えないと言われたので、指揮棒を借りて振った。それからオペラでは指揮棒を使うようにしたが、コンサートでは使わなかった。1960年になって、医者が大丈夫と要ったので、それ以来指揮棒を使っている・・・」(間違ってたらごめんなさい、英語全然駄目なので・・・) この会話は、1972年来日時のパンフレットにも引用されている。(オルマンディは語る-伊奈一男氏)
DVDの解説によれば、マエストロがウィーンの定期に招かれたのが1956/7シーズンとのことで、以後(定期?)には1958/9、1966/7、1968/9、1969/70と合わせて5回招かれているとのこと。「会話」によれば、1958/9はバトン無しで、1966/7以後はバトン有りで指揮していることになるが・・・1963年のこのDVDの映像ではバトン有りである。
ま、マエストロ曰く「そんなことは私にとっては大したことじゃないのだが・・・」というところだが、きちんと何年に・・・などと律儀に答えているのはいかにもマエストロらしい・・・
またDVDの解説によれば、この演奏会では、DVDに収録されている2曲の後にR.シュトラウスの曲が演奏されたらしいのだが、どうもその映像は現存しているかどうかよく分からないようである・・・残念ですなあ・・・
ありゃ、もうこんな時間か・・・では、良い夢を・・・
コメント
_ よしお ― 2010年03月26日 09時15分
_ りん ― 2010年03月26日 23時57分
(1)フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督・首席指揮者としての激務
ロバート=チェスターマン編著(中尾正史訳)マエストロ達との会話(洋泉社1995年10月)によれば、1970年代初めのインタビューで「・・・フィラデルフィア管弦楽団とは、以前は1シーズンに185回も演奏会を行っていたのですが、いまでは100回くらいになりました・・・」と語っています。(ちなみに、1シーズンに350曲演奏するそうです)更に、音楽監督として、客演指揮者の選定・シーズンプログラムの選定・オーケストラの運営と水準の維持・資金集め等々・・・しかも、オーマンディは演奏の際自分のパート譜(オーマンディのボウイング指示が記載されている)を持っていたそうです。更にこれにレコーディング・セッションも加わります。物理的に忙しすぎてとてもオペラまでは手が回らなかったでしょうね。これだけオーケストラに尽くした指揮者はそう多くないのでは?
(2)レコード会社の事情
オペラのレコードはそう売れるものではないでしょう。オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団が契約してた頃の Columbia Masterworks, RCA Red Seal 両社ともオペラの録音には消極的だったと思います。少なくともアメリカ国内では・・・
(3)地元フィラデルフィアの事情
フィラデルフィア管弦楽団の本拠地である Academy of Music はオペラ劇場ですが、フィラデルフィア管弦楽団はオペラピットには殆ど入っていないのでは・・・これは私の憶測ですが、そうした記述は読んだことがありません。私が知らないだけかもしれませんが・・・精々、演奏会形式でオペラを演奏するくらいだったのでは?オーケストラ事務局がオペラに積極的では無かったのではという気がしますが・・・
まあ、結局、フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督の激務でオペラに手を出す余裕が無かった・・・というところかなと思ってますが・・・一部の興味のあるオペラ(ベルクの「ルル」とか)はともかく、オペラを振りたいという強烈な希望が無かったのかもしれません。メトロポリタンで蝙蝠を振ったのもセル(だったかな?)の急なキャンセルの代役だったわけですから。
では。
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以前書かれたオーマンディのDVDが届いたのですね。
前から気になっていたのですが
なぜオーマンディにはオペラの録音がほとんどないのか。
オペラを指揮しなくなったのは
この指揮棒の件が理由かも知れませんね。
貴重な情報をありがとうございます。