オーマンディ&フィラデルフィアの名録音を生み出した会場 フィラデルフィアのTown Hallについて ― 2012年01月07日 19時15分
彼らのホームであるAcademy of Music (おっと、今のホームはKimmel Center for the Performing Artsですな・・・)については下記の本などに多数の記述があります。
・Within These Walls -A History of the Academy of Music in Philadelphia (by John Francis Marion, The Academy of Music, 1984年)
・The Philadelphia Orchestra, The Search for a Home (by Irvin R. Glazer, Sutter House 1995年)
・Those Fabulous Philadelphians -The Life and Times of a Great Orchestra (by Herbert Kupferberg, Scribners 1969年)
・The Philadelphia Orchestra -A Century of Music- (edited by John Ardoin, Temple University Press,1999年)
・オーマンディ/フィラデルフィアのすべて(フィラデルフィア管弦楽団協会編プレスブックによる)上野一郎・訳 編(日本コロムビア洋楽部) 、(日本コロムビア 1967年3月)非売品
しかし、Town Hall(Scottish Rite Cathedral) についての記載は殆ど見当たりません。オーケストラのホームでもなく、さりとてお客を入れる演奏会場でもない・・・
"... a kind of union and social hall called Town Hall on North Board Street. ..."(Those fabulous Philadelphians より)
「・・・ファイファーは、1年でフィラデルフィア管弦楽団の担当を離れ、ピーター・デルハイムになったときに、(アカデミーから)スコティッシュ・ライト・カテドラルに戻ったわけです。ここはコロムビアが長い間録音に使っていた場所で、その頃はただ「タウン・ホール」という名前でした。・・・これは、シカゴの『メディナ・テンプル』やクリーヴランドの『メイソニック・オーディトリアム』などとと同じ名前のつき方で、別に教会でも大聖堂でも何でもない、ウェットな音響効果を持つ大きな舞踏会場でした。・・・」(RCA Red Sealプロデューサー(当時)J.D.サックス、BMGジャパン/RCA Red Seal BVCC-38060 オーマンディとフィラデルフィアの芸術ⅠVol.13 ホルスト「惑星」他、解説より 1999年)
「フィラデルフィアにあるタウン・ホールは普段は静かなところで、その名が軍事史に登場したことはない。しかし、1970年11月のある寒い朝、交通量の多いブロード通りとレース通りの交差点にある、その7階建てのタウン・ホールの舞踏場に、・・・・」(RCA Red Sealプロデューサー(当時)M.ウィルコックス、BMGジャパン/RCA Red Seal BVCC-38126 オーマンディとフィラデルフィアの芸術ⅡVol.17 チャイコフスキー「1812」他、解説より 2001年)
「・・・ステレオの到来で、(アカデミー)から北へ数百メートル離れたタウン・ホール、又はフィラデルフィア・アスレチック・クラブ(※)へ移動した。」(オーマンディ/フィラデルフィアのすべて より)
(※)この建物も今となっては良く分からないが・・・
・・・Town Hall(Scottish Rite Cathedral)についての記載は当時のエピソードなどに断片的に登場する程度で、オーマンディとフィラデルフィアに関する本にその詳細が記されることはなかったが、BMGジャパン(BMGファンハウス)による「オーマンディ&フィラデルフィアの芸術」シリーズ(Ⅰ:1999年,Ⅱ:2001年,Ⅲ:2003年)CD解説等で何となく実態は分かってきた。
J.D.サックスが言うように、コロムビア録音のLP・CDには「タウン・ホール」、RCA Red Seal録音のLP・CDには「スコティッシュ・ライト・カテドラル」と、同じ会場でありながら別の名前で記載されているので、コロムビアとRCA Red Sealでは別の録音会場であったと誤解している人もいる程。(ネット上でそのような誤記をたまに見かける)
Town Hall(Scottish Rite Cathedral)については(たぶん)地元ローカルな存在であり、つい最近までそれ以上調べる気にもならなかったのですが・・・2009年11月8日「オーマンディ関係、2ちゃんねる掲示板の書き込みから その2 - 録音会場の「タウン・ホール」について」でチラッと書いたくらいです。
今回また調べる気になった事の発端?は下記レコ芸術連載記事です。
●レコード芸術 2011年6月号~2012年2月号
「欧米批評家によるレポート」アメリカTheodore W. Libbey Jr.氏
「高音質CDリイシュー盤の音質」①~⑨
アメリカTheodore W. Libbey Jr.氏による長期連載。2011年6月号から「高音質CDリイシュー盤の音質」というテーマを取り上げている。2012年2月号でこのテーマはおしまいにするそうだが・・・10月号~1月号迄の⑤~⑧はオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団に関する興味深い話となっている。(このブログを書いた時点では2月号は未発売)
「高音質CDリイシュー盤の音質」⑤から・・・「・・・僕にとってフィラデルフィア管は、定期的に演奏会に通い、生身で”知る”ようになった初めての一流オーケストラでした。・・・あの頃、フィラデルフィア管が定期的にボルティモアに来ていたことも、幸いでした。彼らはリリック・シアターで年間6公演を行っており、午後の汽車で来て、演奏会をして、夜のうちにフィラデルフィアに帰っていきました。・・・のちに知ったのですが、彼らの本拠地フィラデルフィア音楽アカデミーは音響がひどかったので、リリック・シアターで聴く方がずっと良かった-名高い”フィラデルフィア・サウンド”まさに全開の演奏が聴けたのです。・・・」
なんという羨ましい話であろうか・・・
氏によると、「・・・オーマンディとフィラデルフィア管がともにあった44年間のうち、後半の23年間(1968年にRCA専属に戻ってからですな・・・)に作られたステレオ録音は、控えめに言っても、音響的に一貫性がありません。」
・・・これは当たっている・・・
さらに氏曰く「・・・日本製のリイシュー盤CDについては、リイシューを手がけるレコード会社(ソニーとBMG/JVC)のアプローチも一貫性を欠いてきたようなので、整理が更に難しい。・・・」
・・・う~ん・・・1999年から2003年の間に3回に分けて発売された日本BMGによる「オーマンディ&フィラデルフィアの芸術」シリーズ(Ⅰ:1999年,Ⅱ:2001年,Ⅲ:2003年)を除けば、当たっているな・・・私のホームページでも結局整理しきれなかったし・・・
「高音質CDリイシュー盤の音質」⑥ から・・・米Columbia専属時代、1957年から60年頃迄はブロードウッド・ホテルのダンスホール(※)を録音会場に使用。アカデミーとは対照的に低音が響きすぎて、鮮やかな音色が聴き取りづらいものになった・・・とのこと。1960年代初頭にはまたアカデミーへ戻っての録音を試み、さらにフィラデルフィア・アスレチック・クラブのダンスホールも試みたが出来は今ひとつ。次に試したタウン・ホール(RCA時代はスコッティッシュ・ライト・大聖堂と名前 が変わる)でようやくまずまずの音質が得られたとのこと。
(※)オーマンディ&フィラデルフィアがRCAに復帰したときにはオフィス・ビルに改装されており録音スタジオとしての機能は失われていた-RCA Red Sealプロデューサー(当時)J.D.サックス、BMGジャパン/RCA Red Seal BVCC-38060 オーマンディとフィラデルフィアの芸術ⅠVol.13 ホルスト「惑星」他、解説より 1999年)
フィラデルフィアのダウンタウンにかつて存在したこのTown Hall(Scottish Rite Cathedral, Scottish Rite Temple)は、1926年築の窓 のほとんどない大きな建物で、1926席のオーディトリアムがあり、コロンビア時代は1962年~68年にここが録音会場となったそうな。
今回の調査(?)で、Wikipedia(Eugene Ormandy) のこんな記載(Recordings)に気が付きました・・・Theodore W. Libbey Jr.氏の記載と合ってますね。
Curiously, the orchestra's performing venue at the Academy of Music (Philadelphia) was seldom employed for recording, because record producers believed that its dry acoustics were less than ideal. Moreover, Ormandy felt that the remodeling of the Academy of Music in the mid-1950s had ruined its acoustics. The Philadelphia Orchestra instead recorded in the ballroom of Philadelphia's Broadwood Hotel/Philadelphia Hotel, the Philadelphia Athletic Club at Broad and Race Streets, and in Town Hall/Scottish Rite Cathedral on North Broad Street near the Franklin Parkway. The latter venue featured a 1692 seat auditorium with bright resonant acoustics that made for impressive-sounding "high fidelity" recordings. A fourth venue was the Old Met (Metropolitan Opera House) used for later RCA recording sessions.(太字の記載は気になるところ・・・1950年代以前は響きは悪くなかったのだろうか・・・)
以上の情報を整理すると・・・
・Town Hall(Scottish Rite Cathedral)はAcademy of Musicから数百メートル北にある
・北ブロード通りとレース通りの交差点にかつてあった
・Town Hall/Scottish Rite Cathedral on North Broad Street near the Franklin Parkway.
City Hall を起点に辿ると・・・ City Hall 南側 South Broad Street 沿い500m程にAcademy of Music があり、 South Broad Street と Locust Street の交差点に位置する。(The Philadelphia Orchestra, The Search for a Home の図でも確認したし、今はgoogleで簡単に確認出来る・・・)
City Hall の北側North Broad Street沿い直ぐに masonic temple があり、それよりさらに北側 200m に North Broad Street と Race Streetの交差点 、現在は駐車場であり、過去にタウン・ホールがあった場所がある。
既にタウン・ホールが取り壊されて駐車場になっているということは、Abe Torchinsky(1949年から1972年迄フィラデルフィア管弦楽団に在籍) の回想(自身が参加したグラミー賞受賞アルバム、The Antiphonal Music of Giovanni Gabrieli(米Sony Classical Masterworks Heritage MHK62353 1996年) のCD解説)で分かってはいた・・・下記の解説がそれ。
The recording sessions took place in a masonic temple that's a parking garege now. It makes me sick to walk by there:there's a lot of a good sounds coming out of that building.
masonic temple は現在もある。タウン・ホールがあった場所はさらにそこから北へ200m程離れている・・・つまり、Town Hall を 購入した宗教団体とはフリーメイソン だった・・・ということなら辻褄があう。フリーメイソンが買って、Scottish Rite Cathedral(Temple)と名前を変えた・・・ということかな。だから Torchinsky はタウン・ホールを masonic temple と持ち主の名前を言った・・・のだろう。"Scottish Rite"という名前はアメリカのフリーメイソンにとっては重要な名前のようだ・・・それ以上立ち入る気はないけど・・・
ネット上では、"Scottish Rite Cathedral philadelphia" や "Town Hall philadelphia" でググってもそれらしき記載のあるサイトは見つからなかったが、"masonic temple philadelphia" "Scottish Rite temple philadelphia"とか色々キーワードを変えて検索を続けたところ、ようやくお目当てのサイトに・・・
以下のサイトがそうです。どうやら個人の趣味サイトのようですが・・・
naked philly
DELOREAN MOMENT: THE SCOTTISH RITE TEMPLE
Philly Bricks
Scottish Rite "Town Hall"
下記の写真は上記サイトから拝借。もっと高精度な写真は上記サイトにアクセスしてご覧あれ。
確かに、「1926年築の窓 のほとんどない大きな建物」「7階建てのタウン・ホールの舞踏場」という記述に合致しますな・・・
・・・さらに、下記のサイトで明確な説明文とイラストを見ることが出来ました。
Webshots American Greetings
town hall dedication
Scottish Rite Temple, Philadelphia. Broad & Race Sts. Architect: Horace W Castor Built: 1927, Razed: 1988 The Scottish Rite Temple, also known as "Town Hall Theatre" was, for many years, the favorite recording venue of the Philadelphia Orchestra. The acoustic quality of the building was superior to that of the Academy of Music, and many of the Orchestra's best-loved recordings on the RCA label were made here.
Horace W Castor という設計者が関わっていたんですな。かなり名のある方のようですが・・・ようやく正解?に辿り着いたようです・・・
残念ながら、1983年から取り壊しが始まったようで、1988年には完全に撤去され、今は駐車場になっています。Googleで日本に居ながらにしてこういう写真が見られるとは・・・
Theodore W. Libbey Jr.氏 に連載に戻りますが、「高音質CDリイシュー盤の音質」⑦は、録音会場をアカデミーに戻した事による失敗談。1968年、RCAに復帰したオーマンディとフィラデルフィアはアカデミーに戻って録音するが・・・
この時のRCA Red Seal のプロデューサーは名高い J.ファイファー、アカデミーの残響の少なさを補うため、一端収録した音を舞踏室で再生しエコーを付加した音を収録し、それを直接音にミックスするとい う・・2シーズン続けたが、評価はさんざんで、結局収録場所をタウン・ホールに戻したという・・・
この失敗談、後任プロデューサーのM.ウィルコックスやJ.D.サックスも同じくインタビューで語っている。
M.ウィルコックス(※)によると、このホールはコロムビア時代にコロムビアのプロデューサーであるハワード=スコットが探し出した場所で、録音はその7階の大きな舞踏場で行われた。理想的ではないが自然な響きが得られたが、冬場はホールが乾燥して響きがドライになるため、大きなドラム缶にお湯を入れて加湿したそうな・・・
(※)RCA Red Sealプロデューサー(当時)M.ウィルコックス、BMGジャパン/RCA Red Seal BVCC-38126 オーマンディとフィラデルフィアの芸術ⅡVol.17 チャイコフスキー「1812」他、解説より 2001年
また、J.D.サックス(※)によると、ウェットな音響効果を持つ大きな舞踏会場だが、大オーケストラの為にはやや小さく、オーケストラもお互いの音が聞きにくいなど問題の多いホールだったとも。RCAが収録会場を戻したとき、ブロードウッド・ホテルはオフィスビルに変わっており、タウン・ホール(この時既にスコッティッシュ・ライト大聖堂と名前が変わっていた)に行くしかなかったという・・・
(※)RCA Red Sealプロデューサー(当時)J.D.サックス、BMGジャパン/RCA Red Seal BVCC-38060 オーマンディとフィラデルフィアの芸術ⅠVol.13 ホルスト「惑星」他、解説より 1999年
1978年頃、RCAの専属を離れて、EMI、Telarc、DELOS等に録音するようになると、当時EMIが所有していた Old Met 等も収録会場として使われます。
オーマンディ&フィラデルフィアの最後のセッション録音(1982年5月3日)、Yo Yo Ma とのショスタコとカバレフスキーの作品集。soundstreamのディジタル録音。CDブックレットに録音日時の記載は無いが、横田さんのオーマンディ・ディスコグラフィによると1982年5月3日に収録、録音会場はブックレットに Scottish Rite Hall と記載。恐らく、この時のセッション録音が タウン・ホール が大手レコード会社の録音会場として使用された最後となった・・・かもしれない。1983年には取り壊しが開始されているのだから。
コメント
_ リベラ33 ― 2012年01月09日 16時49分
_ りん ― 2012年01月09日 17時39分
タウン・ホールに関する有力な手がかりは「オーマンディ&フィラデルフィアの芸術」CDブックレットに掲載されたM.ウィルコックス氏、J.D.サックス氏のインタビュー記事でした。あの記事で「タウン・ホール」と「スコッティッシュ・ライト・カテドラル」が実は同じ建物であったことを知ることが出来ましたし、「北ブロード通りとレース(人種?)通りの交差点」と場所も特定出来ました。今はグーグルで地図やその場所の写真まで直ぐ調べられますから便利ですね。
それから、もう一つの手がかりは、最近のレコ芸連載 アメリカTheodore W. Libbey Jr.氏「高音質CDリイシュー盤の音質」でした。「・・・1926年築の窓のほとんどない大きな建物で、1926席のオーディトリアムがあり・・・」という記述。竣工年度と建物の外見、1926席のオーディトリアム・・・これは英語版Wikipediaのオーマンディに関する記載とも一致していました。場所も上記の情報と一致しましたし。
建物の写真については、「オーマンディ&フィラデルフィアの芸術」CDブックレットにセッション中の写真はありますが、建屋の外観写真は無いですから・・・今回の最大の収穫はこれですね。
これまでネットで検索してもなかなかその情報に行き当たる(気がつく)迄には至らなかったのですが、、The Antiphonal Music of Giovanni Gabrieli の Abe Torchinsky氏 の回想"The recording sessions took place in a masonic temple that's a parking garege now."とJ.D.サックス氏のインタビュー記事「・・・どこかの宗教団体だか・・・」、そしてネットで調べている内に、masonic temple → フリーメーソン(アメリカでは結構有力な団体なのでしょうね)→ Scottish Rite の関連に気が付き、ふと"Scottish Rite Temple philadelphia"のキーワードで検索してみると、探していた情報に行き着いた・・・というところです。取り壊しの写真と、現在の駐車場の写真も確認出来、複数の情報源の記載と一致したので、まず間違い無いと確信が持てました。
オーマンディ&フィラデルフィアの最後のセッション録音(1982年5月3日)がタウン・ホールであったとは感慨深いものがあります。タウン・ホールにとっての最後の録音セッションか否かは定かではありませんが・・・この黄金コンビの終焉とほぼ同時期にタウン・ホールもその役割(本来は舞踏場ですが)を終えたのですね。
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今回もなかなか読みごたえのある投稿ありがとうございます。フィラ管は録音会場には苦労しましたね。それがこうしてひとつの投稿、しかも日本語でまとめられたことは本当に素晴らしいことですね。感謝です。そしてオーマンディ最後のセッションの会場がタウンホールにとっても最後の録音だったとは。感動のあまり言葉になりません。
今年もどうぞよろしくお願い致します。