私的コンピューター史 その1(松下電器産業 JR-100)2010年03月22日 13時00分

はじめてのマイコンは、松下電器産業(株)のJR-100だった・・・

今は「パソコン」だが、昔は「マイコン」だったのだ・・・micro computer というよりも、コンピューターを個人所有する "my computer" の意味合いだったかな・・・意味合いとしては マイクロコントローラー とか 組み込みシステム の方が正確ではあるが・・・

当時はナイコン族と自称していたぜ・・・NECPC-8001富士通FM-8シャープMZ- 80C、80B8 ビット御三家だ~)そしてApple][? なんかに憧れてたしなあ・・・片田舎で、パソコン置いている店なんか一軒しかなかったし・・・

NHK教育テレビジョンの「趣味講座 マイコン入門」(昔のテキストどっかにいっちゃったな・・・)とか、パソコンサンデー なんて番組も見てたなあ・・・

小学生当時、当時流行のパソコンが欲しくて・・・とはいっても小学生のお小遣いで買えるような代物では無いから、ラジオの製作月刊マイコンマイコンBASIC Magazine などの雑誌を買ってあれこれ夢想したものだ(I/O とか RAM とかもあったな・・・ASCII も・・・)

「素晴らしいマイコンの世界」(白田由香利著 電波新聞社 1981年、amazon.co.jp )とか、「まんが版 こんにちは マイコン」(すがやみつる 小学館 1982年、amazon.co.jp )とかも読んだな~。「素晴らしいマイコンの世界」では、マイコンの自作(CPU選びから設計まで・・・凄いな・・・)奮闘記?や簡単なBASICの解説があったかな・・・「まんが版 こんにちは マイコン」は当時人気だった「ゲームセンターあらし」の漫画を使ったマイコン入門書だった・・・「素晴らしいマイコンの世界」はまだ実家にあったかな・・・「まんが版 こんにちは マイコン」はもう処分しちまったかな・・・もう一度読みたくなってしまった。

そういえば、ASCII に連載されていた「Yoのけそうぶみ」、あれも面白かった。当時のマイコン4台雑誌(月刊マイコンI/ORAM)の中でASCII は「Yoのけそうぶみ」とか洒落たエッセイがあり、なんとなく垢抜けた雰囲気があった。

「Yoのけそうぶみ」、1987年に単行本(amazon.co.jp)で出てたのね・・・知らんかった・・・また読みたいな。ちなみに、ASCII から数年前に出ている「蘇るPC-**01伝説」シリーズで、彼女のエッセイ(復刻&新規書き下ろし)が掲載されていて、おもわず感慨に耽ってしまった・・・

閑話休題

ちょうど中学生になったころかな・・・どっかで中学生くらいを対象としたマイコン講座を募集していて、両親から応募してみたら・・・ということで応募したけど、応募多数で選から漏れてしまった・・・

それを哀れに思った両親(よっぽどがっかりしてたのかな~)が、ナント、このJR-100を買ってくれたのだ。ホント、嬉しかったねえ。

CPUは当時日本で多く使われていた Intel8080ザイログZ80 では無く、 モトローラ68026800系統ですなあ)で、主記憶RAMは16kB・・・5万円台のパソコンとしては大容量であり、拡張ユニットでメモリ増設(+16kBで32kB迄)も出来たが、恐らく拡張ユニットを買った人はそういないのではないかな。16kBのメモリ容量を使い切ることはなかったし、そんなプログラムもなかったと思う。ROMは8kBで整数BASICが使えた。VRAMは1kBで、24行×32文字のモノクロ表示が出来た。家庭用のテレビで綺麗に写すにはこんなところだろう。高解像度グラフィックスは無し。

整数型BASICとモノクロキャラクタ表示のみという割り切りで、CPUクロック1M未満(890kHz?)であってもまあまあ結構な速度で動いてくれていた。ユーザー定義できる文字が32文字あり、ゲームとかに使ったかな。スクリーン・エディタも使いやすく工夫されていた。主要なコマンドはCtlキーとの併用で一発入力できたし、グラフィック文字もキーボードから直接入力できたと思う。キーボードはゴム製でいかにもおもちゃだけど、当時はあれで感動したんだよな~、自分が好き勝手に出来るパソコンというだけで・・・

近所でもらってきた真空管式の白黒テレビに、JR-100の画面出力をRFコンバーターとインピーダンス整合器(75Ω→300Ω)を介して接続して表示していたのも懐かしい想い出である。モニタなんて高くて買えなかったからねえ・・・

プログラム記憶媒体はカセット・テープである。これもデータレコーダーなどという高価なものは買えないので、たまたま持っていたソニーのモノラルテレコを使ったが、たまたま相性が良くて、殆どテープ・リード・エラーは起こさなかったな。まあ、ボーレート 600ボーとそう高速ではなかったからかな・・・

このJR-100で数年間遊んだなあ。初めは付属のデモンストレーション・プログラムのテープ等で、その後はベーマガ等雑誌のプログラムを打ち込んだり、自分でBASICプログラムを組んだりして。確か、メーカー主催のファンクラブにも入って、会報誌やプログラム・テープも買ったような・・・結局、松下MSXに力を入れ始めてJRシリーズは縮小、ファンクラブも解散してしまいましたが(これは悲しかった)・・・少数派の悲哀はこのころからか?(笑)

そうこうして、パソコン熱も冷め始めた夏のある日、なんかの無限ループをJR-100で動かしていて数時間放って置いたら、熱暴走(かな?)で動かなくなってしまった・・・電源を切って入れ直しても再起動しない。時間をおいて再度電源を入れても起動しない・・・こりゃ、熱で素子がやられたな・・・ということで、このJR-100は廃棄処分と相成ってしまった・・・

・・・もう、この頃は兄貴のお古のPC-8001mk で、昔懐かしのインベーダー・ゲーム (確か、月刊マイコンマシン語のダンプリストをひたすら打ち込んだような・・・)や、電波新聞社ギャラクシアン とか、ハドソンソフトサラダの国のトマト姫 とか マリオ・ブラザーズ任天堂ゲームの移植)とかで遊んでいたし・・・とってもこの当時既に PC-8001mk は時代遅れの機種だったが・・・ディスプレイもグリーン・モニタだったが・・・

・・・ということで、JR-100のことは既に忘却の彼方であったが、ナント、JR-100のエミュレーターがある(下記)という・・・

KemusiroWebJR-100 エミュレータ
http://www.asamomiji.jp/kemusiro/index.php?JR-100%A5%A8%A5%DF%A5%E5%A5%EC%A1%BC%A5%BF

早速ダウンロードして動かすと、おお、懐かしのあの画面が・・・
JR-100 Emulator ブート直後画面
JR-100エミュレーター 起動直後画面

昔の8ビットパソコンはみんなこうだったのね・・・(シャープのMZ- 80C、80B はクリーン・コンピューターだから違うけど・・・)

さて、昔の本が手元にある。

JR-100 応用プログラム集 有澤誠編・松下通信工業(株)監修 誠文堂新光社 1982年3月
National JR-100 応用プログラム集 有澤誠編・松下通信工業(株)監修 誠文堂新光社 1982年3月

暫くコレで遊ぼうかな・・・シミュレーションライフゲーム とか)や簡単なアルゴリズムの基礎(ソートシャッフル、2つの数字の最大公約数を求める・・・とか)を簡潔なプログラムで動かすとか、単純で奥が深く、色々応用できるように配慮されている。

そういえば、昔 「パソコン・アニメーション―絵を描くパソコンJR‐100,JR‐200」(佐藤 明著、誠文堂新光社 1983年1月、amazon.co.jp )という本も昔持っていたが、処分したのか手元に無い・・・結構洒落た本で記憶に残っているのだが・・・惜しいことをしたかな・・・

JR-100関係では、「パソコンをマスターする本 National JR-100」(松下通信工業(株)、誠文堂新光社 1982年2月 amazon.co.jp )という本もあったと思うが、これは製品付属のユーザーズマニュアルと殆ど同じ・・・と何かで読んだことがあるが、実物を見ていないのでなんとも言えない。

JR-100の情報があるサイト・・・
 郷愁のパソコンNational JRシリーズ -JR-100
 Attic or Garre - Time Machine - JR-100

JR-100が最初のパソコン・・・という人、結構いらっしゃるのですねえ・・・嬉しいなあ・・・
 ふあうのほ~むぺ~じJR-100 ぎゃらりぃ
 小宮日記
  初めてのマイコンが JR100の仲間!
  JR100のエミュレータ
 応用プログラミング集

んでは。